異常出生譚の事例として母親の右脇から生まれたシャカの話をされていましたが、そもそもクシャトリヤはすべて右脇から生まれるのであって、釈迦の異常さを表現しているのではないと思います。それを補うのが霊夢なのではありませんか?

確かに、『リグ・ヴェーダ』のプルシャ讃歌では、世界の根源である原人プルシャが神々に供犠された際、切り分けられたその両腕からクシャトリヤが生まれたことになっています。しかしこれは階層としてのクシャトリヤの起源を語る神話であって、個々の貴族・武人の出生を説明しているわけではありません。現在の中国少数民族の起源神話でも、近隣の民族どうしが「最初の肉塊」から分かれて生まれてきた云々のことが民族の起源神話として語られていますが、インドの影響である可能性はあります。仏伝が釈迦を神話化してゆくなかでこのモチーフを用いたのは、彼がクシャトリヤ出身であることを語るためと思われますが、同時に、世界の根源への回帰やバラモン最上位への批判(それは生まれながらにして地位が決まる社会への批判であり、シャモン=努力する者としての力動の正当化になります)など、種々の暗喩を含んでいるのです。それゆえに、仏伝の成立時においても現在においても、異常出生以外の何ものでもないのです。