蘇民将来譚で、武塔神を歓待した兄やその妻まで殺されてしまうというのは、納得がゆきませんでした。他の話との差異などが、ここには何かあるのでしょうか。 / 蘇民将来の信仰が現在まで続いているのは、自分の生命より家の存続を重視した古代の考えに基づいているのでしょうか。

自分の生命より家を優先する、というのは面白い解釈ですね。しかしここでは、やはり歴陽水没譚と同様に、災害=ここでは疫病の大規模性、無差別性を標榜しているものと考えられます。前近代、災害や疫病などは神霊によってもたらされるとの発想がありましたが、彼らは必ずしも人間と交感可能なもの、同じ価値基準を持つものとは考えられていませんでした。そうした存在に対して修祓=ハラエを行うのは、彼らが悪いから、邪だからという前提があるのではなく、対話が不可能なので暴力的に却けるしかないわけです。それほど前近代の人々にとって、災害は苛酷なものであったということですね。文字どおり、人間の道徳や倫理の外部にある世界なのです。