「指路経」のように、「行きたいけど一緒に行けない」という生者の側からの言葉とは逆に、「生きたいけれど生きられない」という死者の言葉を語ったものはありませんか。

そうした語りは「死者の語り」になりますが、それを生者が代弁しようとすると大きく道を踏みはずしてしまいますので、やはり、シャーマンなどを介して神語りするということになるでしょうね。神語りも、多くは生者の世界を肯定するベクトルを持ちますので、死者の立場から癒しや励ましを与えるという言葉になりがちです。しかし、時折現れる祟り、咎めなどの形式は、死者の無念や苦痛を語って生者の心身を動揺させ、生者優位の前提を覆す力を持ちうるものと思います。