竹原古墳の壁画についてですが、なぜ人と波と馬の上に青龍が描かれていると考えられるのでしょうか。青龍がいることでどのような意味を持つとみられるのですか?

朝鮮半島の壁画装飾で四神の描画が一般的になり、日本列島にもそれが採り入れられているため、それらの傾向と比較して推測しているのです(また中国美術史・文化史においては、龍と馬とは非常に近い生き物で、時に置き換え可能な性格も帯びています)。もちろん、これが青龍ではないとの見方もできますが、だとすると何なのか。半島にも日本にも、他に類例が残っていません。北方の遊牧民族は、龍馬の種を得て馬に子供を産ませると駿馬に育つ、との伝承があるようで、竹原古墳のそれはこの龍馬を表すとの見解もありますが、遊牧民ではない九州の倭人にそうした意匠が定着しえたか疑問です。