府官制は、古墳時代以降には機能しなかったのでしょうか。

雄略以降の大王が、中国王朝から将軍職を得て開府をしたという記録は残っていません。これはやはり宋王朝が滅亡し、その後に隋が中国全土を統一するまで、南朝では比較的短命な王朝が興廃したという事情によるものでしょう。その間、ヤマト王権は王家の確立と支配体制の整備に勢力を注ぎ、臨時色の強い軍事政権ではなく、中国王朝それ自体に比肩しうる中央主権国家そのものを志向してゆくわけで、もはや府官制への依存には意味がなくなってゆくのです。