水辺の都市に洪水伝承が多く存在しているとのことですが、例えばノアの伝説など、イスラエル周辺にそのような場所はあったのでしょうか。
『旧約聖書』創世記に収められたノアの洪水の伝承は、当初からユダヤ民族が持ち運んでいたわけではなく、西アジア発生であるとするのが通説です。すなわち、チグリス・ユーフラテスの洪水地域から発生した洪水神話が、ユダヤ民族に受け入れられたということです。失楽園のモチーフも含め、例えばギルガメシュ神話など、メソポタミアの神話が『旧約聖書』神話の基盤に置かれていることは、これまでにも指摘されてきています。しかしそのうえで、ユダヤにとって「なぜ洪水なのか」という疑問は重要と思います。災害史的にいえば、遊牧民族にとって、現実の洪水はそれほど深刻な災害ではありません。洪水の予兆を感じ取った時点で、危険な場所を放棄して移動すればよいからです。この点は農耕民も同じなのですが、定住性が強ければ強いほど、移動に対する動機付けは鈍くなり、被害は大きくなります。洪水に対する危機意識は、遊牧民より農耕定住民の方が強いといえるでしょう。よって、ノアの洪水も定住が比較的に安定して以降に取り入れられ、成文化されたものと考えられます。ユダヤはそれほど大規模な洪水を経験したことはなかったと思いますが、それゆえに想像を絶する水に飲み込まれることの恐怖、「世界の終わり」に拡大できるほどの恐怖が存在したとはいえそうです。