雄略は漢風名、倭讃も漢風名でしょうが、雄略/ワカタケル/倭王武などの使い分けは、一体どのようになされているのでしょう。

我々がふつう天皇を呼ぶときに用いる漢字2字の呼称、この場合の「雄略」は漢風諡号というものです。実はこれは『日本書紀』に記載されておらず、文武・聖武孝謙を除く神武〜持統・元明・元正は、8世紀の半ば過ぎに淡海三船によって一括考案・奏進されたものとみられています。一方のワカタケルは、『書紀』に「大初瀬幼武天皇(オホハツセワカタケルノオホキミ)」、『古事記』に「大長谷若建命」と出てきます。これは先帝の殯の際に群臣から奉られるものですが、実例として確認できるのは持統天皇以降で、それより前の名称については、諡であるのか実名であるのか判然としません。武は『宋書』に記載の氏名であり、倭王の彼が倭武と名乗ったことが分かります。この点によれば、ワカタケルは雄略の実名として用いられており、タケルを表す文字として「武」一字が当てられ、対外的に使用されたものと推測されます。