鉄剣名に刻まれた「治天下」は、中国の「天下」をさらに「治」めるといったニュアンスを感じます。中国を越えようといった意識はあったのでしょうか。 / 中国は、倭王権が中国の制度を「建前」として用いていたことに気付かなかったのでしょうか。

まだ文字の運用について熟練していない倭国のことですから、「治天下」にそれほど大きな自意識を認めることはできないでしょう。「中国的天からの離脱を宣言した」との見方もありますが、あまりにも自国を過大評価した見方であると思います。恐らく、中国の事例などを参考に大王の用いる言葉、字句、概念などを整理・創出していた時期だったのでしょう。以降、大王の実名に冠する美称として使用されていったようです。なお、府官制の主宰者である中国王朝は、それぞれの朝貢国の支配の実態については、充分知っていてもとくに咎めなかったものと思われます。そこまで内政干渉をするには、それこそ兵力を派遣して征服する覚悟が必要です。北朝と対峙しめまぐるしく王朝の替わる南朝には、そうした余力は残っていなかったでしょう。