鉄剣の出土した稲荷山の周辺、すなわち今の関東には、巨大な豪族、強力な政治集団が存在したということでしょうか?

弥生、古墳のときから何度も言及していますが、東国には巨大な政治集団が存在しました。彼らが中央との関係において独立不羈の気風を有していたことは、例えば安閑朝の武蔵国造の乱などに明らかです。『書紀』の記述などを批判的に追ってゆくと、当時の東国は、中央から豊かで強力な地と認識されていたことが分かります。中央にとっては、武力の基盤として馴化したい地域であり、またいつ「手を噛まれる」か分からない不安要素も帯びていた場所だったようです。そうした中央の印象、中央との関係は、後の平安時代における武士の反乱、鎌倉幕府の成立にまで繋がってゆくのです。