渡来系の人々によって王権が運営されているとのことでしたが、ヤマト王権の人々は、例えば対外的交渉を渡来の人々に任せることについて、抵抗はなかったのでしょうか。

不安や抵抗はあったかもしれませんが、文字や言葉の問題からして、委任せざるをえなかったのが現状でしょう。ただし、渡来系氏族を統括していた葛城、蘇我、あるいは対外交通や対外軍事を担っていた阿倍、物部、紀などのなかには、外国語や外国文化に堪能であった者もいたはずです。彼らがしっかりと管理・運営するなかで、渡来人の力が活用されていたと考えられるでしょう。