現在の日中韓の関係を考えるにあたり、「朝鮮はずっと朝貢国のままだったが、日本は途中で止めた」との言説を聞くことがあります。これはどの程度まで正しいのですか。

上にも述べた雄略の「治天下」を契機とする言説、聖徳太子の「日出る国」国書の解釈などがその根幹をなすのでしょうが、例えば遣唐使などは、日本でそのつもりがあったかどうかはともかく、中国王朝、そして東アジア世界においては朝貢国の使者と位置づけられていました。遣唐使の途絶後、正式な国交は長く停止状態となりますが、それは日本が優れていたためではなく、日本海によって中国と隔絶しており、容易な武力侵略を可能としなかったためでしょう。遣唐使廃絶後の国風文化も、多く中国文化を前提に、その消化を通じて開花したものであり、この傾向は中世以降も持続します。その意味で前近代の日本は、常に中国文化圏の影響下にあったことは確かです。