宋王朝はかなり大それた称号を倭へ送っていますが、当時の倭と朝鮮諸国との関係は、派兵などに限定されるのでしょうか。

この「大それた称号」は、倭国王のみに送られたわけではありません。授業でもお話ししたように、朝鮮諸国と獲得を競合していたのです。例えば463年、高句麗王は宋から、「使持節、散騎常侍、督平營二州諸軍事、車騎大將軍、開府儀同三司、高句驪王」の称号を受けています。倭は朝鮮半島の南部に利権を持ち、鉄の入手を主目的に加羅百済を支援し、新羅高句麗と対立していました。種々の文物が列島へもたらされたことは確かですが、称号のとおりに百済新羅地域を支配していたかどうかは分かりません。しかし、414年の好太王碑文には、倭が百済新羅を破って臣民としたとの記述があり、倭の五王より少し前、倭国が半島に大きな勢力を得ていたことは間違いないようです。