『古事記』などは、王権の正統性を裏付けるために書かれたと聞きました。キリスト教人間学では、人間は自分に意味づけをするために神話を作る、もしくは作ったと習いました。日本とキリスト教国とは異なりますが、神話に対する価値付けは近いように思えます。どうなのでしょうか。

一口に神話といっても、そこにはさまざまなレベルがあります。家族で語られる父祖の神話、氏族における始祖伝承のようなもの、村落共同体で語られる世界の森羅万象に関する説明、そして国家がその起源を語る政治的なもの。神や祭祀の由来を説いた宗教的なものから、芸能として語られる娯楽に近いもの。神話の種類やレベルによって、さまざまの機能や意味づけが存在するのです。『古事記』に対する「王権の正統性云々」という説明は、同書が内廷的な価値観のなかで著述されたことを意味しています。また、人間学における神話の意味づけは、神話一般の起源を説明したものでしょうが、さすが人間学だけあって倫理的な解釈です。宗教学や人類学、神話学などにおいては、神話とは世界の説明であるとする定義の方が一般的かなと思います。