『捜神記』の洪水伝承を確認していったが、主人公はみな老婆だった。なぜ老婆でなければならなかったのですか。

主人公としての老婆は、やがて日本にまで受け継がれてゆきます。もともとの歴陽水没譚では、寡婦としての孤独な老婆(すなわち社会において最も弱い存在)が生き残る点が重要だったのだと思われますが、その後、告知主体=神的存在である翁に対応するものとして、シャーマンとしての老婆という意味づけが強化されていったのでしょう。さらに災害経験の歴史化が進み、儒教的な日常道徳の価値観で話が語られてゆくようになると、養老の観点からやはり老婆を重視し尊重する傾向も表れます。韓国などでは、主人公が翁に置換される場合もあるのですが、少数に過ぎません。時代や地域によって微妙に意味の相違はありますが、老婆であることは一貫して維持されてゆくようです。