この頃に暦が導入されたとのことですが、それ以前倭には暦はなかったのでしょうか。

より生活に密着した農事暦のようなものは存在した可能性はありますが、文字は存在しませんので、自然環境の季節変化と身体感覚、口承で伝わる記憶・出来事などを繋ぎ合わせたプリミティヴなものであったと思われます。天体の観測に基づき月日を区切ったものとしては、南朝宋で開発された元嘉暦を、百済を通じて受容したのが最初ですね。暦が科学的知識として権力の源になりうることは、以前、韓国ドラマの『善徳女王』が扱っていました。少なくともこれによって、列島人は、厳密に計量可能な時間というものを初めて手にしたわけです。これは7世紀における漏刻台=時計の設置、時間の区分とその告知に結びついてゆく。すなわち、王が空間だけでなく、時間の支配者にもなったということです。