継体は、「体制を継ぐ」という形式的すぎる名であり、正統とはいいがたく官僚にも信用されていなかったのでは、と高校の先生に習いました。これはただのこじつけでしょうか。

高校日本史では共有されていない知識かもしれませんが、我々が天皇を呼称するときに普通に用いている2字の呼称は、亡くなったあとに付された中国風のおくりな、すなわち漢風諡号というものです。実はこれらは『日本書紀』に記載されておらず、文武・聖武孝謙を除く神武〜持統・元明・元正は、8世紀の半ば過ぎに淡海三船によって一括考案・奏進されたものとみられています。よって継体も、その治世下の印象は反映されておらず、後世に『書紀』の記述から類推されたものであるわけです。ただし、継体は『書紀』に載る和風諡号「男大迹天皇」も簡略。父祖との意味らしいですが、簡略な分だけ、王統の始点としての位置づけをリアルに感じることもできます。