蘇我氏に権力が集中したのは、支配者層が王位継承の安定化を図った結果なのでしょうか。

それは正しい見方かもしれません。『書紀』の描く蘇我逆臣史観は明らかに「冤罪」であり、彼ら自身が当時の王権の中心であったとみてもよいので、その血筋に沿って大王位が継承されてゆくという慣習は、選択としては大きく誤っていなかったのだと思われます。のちの藤原氏は、それを行ってみごとに成功するわけですから。蘇我氏の時代は、未だ武力闘争を厭わない風潮が社会に残っていたため、充分な安定をみることなく潰えてしまったということになるでしょうか。