姓が始まるのはこの時期からですか。 / 最大公約数的には、「連」が軍事を担うものの称号と教えられている気がします。阿倍臣が軍事を掌握していることを考えると、そこまで厳密な区別ではないのでしょうか。

そうですね、氏族制の表徴として、王権との関係や奉仕の内容を示すカバネは、この頃に使用されてゆきます。渡来人の流入、支配機構の複雑化により、人工の氏族を多く編成することとなったので、カバネによって整理し序列を定めようとしたものでしょう。「連」が軍事関係との定義は、そういう教え方がなされているとすれば、あまり精確ではありません。連姓氏族は、臣姓氏族が地名をウヂ名に持つのに対し職掌名をウヂ名とし、伴造制と密接に関わる王権への奉仕氏族であるとみられています。臣姓は始祖を皇族とする者が多いのに対し、連姓は諸神を始祖に立てる者が多いのも特徴です。また前者は蘇我をはじめ謀叛を問われる例がありますが、『書紀』に関する限り連姓にはありません。前者は大王を輩出するようなグループの子孫であり、後者はあくまでそれらの側近に仕えた存在だったのでしょう。土師連、阿曇連など、軍事と関わりない存在も多く、連=軍事担当といった定義は当てはまりません。大伴や物部は、もともと奉仕の職掌が軍事的な役割であったに過ぎません。