都が頻繁に移り変わっていますが、飛鳥時代は飛鳥ひとつだけだと思っていました。これほど頻繁に移り変わった時期はほかにありましたか?

中国の都城制が導入される以前、ヤマト王権では歴代遷宮制が採られていました。すなわち原則として、即位した大王は自分自身の宮を新たに建設する、治世の間複数の宮を建設する場合もある、ということです。ゆえに宮が非常に多いわけです。ちなみに都城制導入以前は、宮はあくまで大王や王子の居所でしかなく、臣下や一般臣民の住居まで抱え込んだミヤコ(宮処、都、京)にはなりえていません。飛鳥は主に斉明大王以降、碁盤目状の区画は持たないものの家臣の居館、一般市民の住宅、寺社、各種施設を抱え込んだミヤコとしての様相(倭京、飛鳥京)を呈してゆきますが、いずれにしろ7世紀後半のことです。