大兄制による継承順位には、母親の位などは関係なかったのですか?

もちろん、それは関係があったでしょう。位というよりは、出自、年齢などですね。父親が大王位にあったことも、もちろん条件のひとつでしょう。しかし実際のところ、継体以降の大王位継承の歴史のなかでそれれがしっかり遵守されたのかというと、充分な事例がなく検証しがたい面もあるのです。穴穂部/崇峻の間で紛争も起きていますし、推古の次の世代には多くの皇子がいたにもかかわらず、女帝の治世が長かったために即位の機会を失ってしまい、大王の子ではない舒明/山背の間での対立となっています。結局は、原則的な継承の順序があったとしてもそれは前提に過ぎず、群臣の合議に承認を得ているか、群臣から推戴を受けているかということが最大の条件であったようです。