大王の時代は、王にまったく神聖性はなかったのでしょうか。 / 蘇我馬子は、神である天皇を殺害することに罪悪感はなかったのでしょうか。 / 馬子はなぜ処罰されなかったのですか。
もちろん、古墳時代の祭祀のあり方を考えますと、大王に一定の神聖性があったことは否定できません。しかしそれは自身を神とするような神聖性ではなく、それを祀ることのできる最高の司祭といった位置づけでしょう。古墳の被葬者は神に近い扱いを受けていますが、それは彼がカムロキ=死霊であるからで、ウツセミの王自体は神格化されていなかったのです。それが実現され現御神となったのが天皇であり、この点が大王/天皇の大きな相違になります。馬子が崇峻の殺害によって処罰を受けなかったのは、建前としては彼の仕業に帰せられていないこともありますが、やはり崇峻の排除が群臣層の合意事項であったからでしょう。授業でお話ししたような〈王殺し〉の習俗、前代の実力主義の遺存、そしてもちろん馬子の王権における権勢の強さも原因です。最後の点は、蘇我氏を大王家と対立する豪族と捉えると不審ですが、当時は蘇我本宗家が大王家と一体化し後見となっているわけで、問題のある大王を後見者の責任をもって取り除いた、という見方もできるかもしれません。