災害への危機感が薄れていったからこそ、天変地異を神話のなかに取り上げるようになった、という理解でよいでしょうか。

それもあるのでしょうが、都邑水没譚から兄妹婚姻型洪水神話へ移行する際にみられるのは、洪水を物語の一要素として位置づけることです。つまり、神話の核自体は人類の再生にあるのであって、洪水にあるのではない。また、なぜ洪水が起きたのかという問題がテーマであって、災害の解釈学になっている。これは、災害の勃発に対する生々しさがある程度整理できた段階で、その衝撃を受けとめよう、納得しようという心の動きから出てくることです。都邑水没譚は、災害に対する危険感受性・避難瞬発力の喧伝が中心的内容であり、とにかく自分の身を守るための心構えを構築しようとする方向が強い。両者の相違は、災害に対する時間的・空間的距離感の相違によるものでしょうが、総合的にみると、伝承成立の場における危機の頻度の相違(恒常的に危険にさらされている地域と、それほどではない地域の差異)ということになりますか。