〈王殺し〉は世界的に広がりのある現象でしょうか。 / 〈王殺し〉が実践されていたとすると、寿命が近づき衰えた王は、みな殺されてしまうのではありませんか。 / 王についての神秘的な考え方がなくなり、〈王殺し〉がなくなったのはいつ頃でしょうか。

授業でもお話ししたと思いますが、普遍的な事例でした。フレーザーが収集したなかからいえば、アフリカの王たち =コンゴのガンガ・シトメ(大地の神と称され、当然の権利として初収穫を得る。最期を感じると門弟から継承者を選び、自分を絞め殺させる)・エチオピアのメロエの諸王(神として崇拝されながら司祭たちから死を命じられる)・青ナイルのファゾクルの王(人々の信頼を失うと宣告を受け、殺される)、白ナイルのシルック人の王(王朝の創建者半神ニカイングの化身とされるが、不健康の兆候が生じると閉じこめられて殺される)・ディンカ人の雨乞い師(自然死を許されず、老齢で体が弱ってくると生き埋めにされる)・アンゴラのマチアンヴォ(信頼を失うと戦に誘われ、死ぬまで戦わされる)・ズールー人の王(白髪など老化の兆候がみえると殺害される)・エオ人の王(失政によって信頼を失うと、妻妾らに自分の首を絞めさせる)などが挙げられます。しかし当然、これらが長期間にわたって行われていた地域と、早くに衰退した地域はあります。中国の易姓革命は王殺しの一種と思われますが、改元などは、王殺しを儀礼的に行って世界をリセットする仕組みともみなされます。日本の古墳時代に行われていたと考えられる首長霊継承祭祀は、儀礼的な意味では王の死を現象させず、新たな王を生み出すシステムでしょう。これは、殯から大嘗祭の流れへと受け継がれてゆきます。ヨーロッパでは、王は二つの身体(制度としての王/個体としての王)からなると考えられ、後者は死んでも前者は死なないとみなされていました。日本でも同じことがいえるかもしれません。