蘇我馬子を大王だったと捉える見解について、どう思いますか。

大山誠一さんなどもそうした意見ですが、可能性は否定できません。それはつまり、倭王権のなかで、大王位を継承しうるグループが実力をもって競合する状態が、乙巳の変に至るまで連続していたということを意味します。ただし、それを主張するためには、『書紀』の描く物語を大きく否定しなければなりません。ところが、それを実証できる史料が『隋書』くらいしかなく、しかも中国正史が無条件に信頼できる内容を持つとは限らない。現時点では、馬子を大王としうるかどうかは不明であり、大王家と一体化していた有力豪族と考えた方がよいようです。