河南での伏羲・女禍の信仰が変質したというのは、都邑水没譚が外部から入ってきて、創世神から水神に変わってしまったということですか。

そうですね。様相はかなり複雑だろうと思います。江南地域に、世界の始まりを洪水状態と考える神話が存在したことは、戦国時代の木簡から分かっていますが、そこには伏羲・女禍は存在しません。一方、中原地域の伏羲・女禍による創世神話は、もともと洪水を伴わないものでした。この2つが河南において結びついたのが、現在みることのできる兄妹婚姻型洪水神話でしょう。その際両者の媒介となったのが河南の祠廟信仰で、これらは現世利益的に、雨が振らない場合の祈雨、洪水の畏れがある場合の治水といった機能が期待され、それゆえ長く信仰が持続してきたものと思います。そのなかで、伏羲や女禍にも水神としての霊験が認められるようになった。それが、洪水を息抜き人類の祖となるとの神話に結びついていったのでしょう。