畜蠱の場合と同じように、六朝期、もとは漢人文化でなかったものが漢人の側に採り入れられた例はありますか。また、民族間の文化接触を扱っている先行研究には、どのようなものがありますか。 / 蠱毒について、実際に残る虫は1匹だけなのでしょうか。

蠱毒の実際については、詳細はよく分かりません。しかし、最後の1匹になるまで殺し合いをさせる、失敗してみんな死んでしまった場合は最初からやり直す、ということでしょうね。非漢人文化が漢人世界に採り入れられた例としては、例えば川本芳昭さんが、「洞」の問題を採り上げています。「洞」はもともと山越ら非漢民族の集落を意味しますが、これが桃花源や、洞天福地の表象に繋がってくるのではないか、ということです。洞窟に生活する住居形態は、確かに中華思想のなかでは「野蛮人」を表象するものです。これは日本にも採り入れられ、蝦夷を表象する言説として使用されます。しかし同時に、穴のなかに別世界がある、ユートピアがあるといった考え方も、併行して存在します。これらは一種のオリエンタリズムである、といえるかもしれません。しかし、これは漢民族系、これは非漢民族系と区別して論じること自体が実はナンセンスで、現実は、「民族」という政治的概念では境界線を引くことのできない、複雑な情況が横たわっていますね。