厩戸王は、なぜ大王になれなかったのでしょうか。

このあたりは解釈が分かれます。現象的には、用明・崇峻の事後処理のために大王位に就いた推古が、例外的に長生きをしてしまったからでしょう。当時はまだ、大王が存命中のまま他者に位を譲るということがありませんでした。また、厩戸王が当時の王族としては例外的に仏教興隆に邁進している点は、やはり蘇我氏との強い協力関係を表していますが、同時に神祇祭祀の主宰者である大王位との間に、若干の齟齬が生じたのかもしれないという印象があります。飛鳥を離れ斑鳩宮を経営していた彼が、どれほど積極的に中央の政治へ参加していたかも分からないので、本質的なところは難しいと思います。