コホリの表記が「評」から「郡」に変わったのは、そもそもなぜなのでしょうか。 / コホリの話ですが、なぜ50戸なのでしょうか。

コホリの原義は朝鮮語で原野、土地を表す言葉であり、表記も「評」字を用いていました。これが「郡」に変わるのは大宝令制からで、改新制の大評(40里〜31里)・中評(30里〜4里)・小評(3里)の3等級が、大郡(20里〜16里)・上郡(15里〜12里)・中郡(11里〜8里)・下郡(7里〜4里)・小郡(3里〜2里)の5等級に細分化されたものへ移行しています。それだけ、行政の地域把握が細かく進んだということです。すなわち、「評」から「郡」への改変は、制度自体の拡充であるわけで、「郡」字は中国の郡県制に由来しています。その意味では、朝鮮に由来するシステムから脱却し、中国化を志向する流れのなかに位置づけられるかもしれません。