レポートで扱おうとしていたテーマのひとつに、中国の文字創出伝説がありました。『淮南子』にいう「蒼頡が文字を作ると、天が穀物を降らせた」という記述と、「神農の時代に穀物が降って、彼がそれを人々に広めた」との神話がありますが、穀物が降る点では同じ表現なのに、ニュアンスがまったく異なるように思います。この相違は何なのでしょうか。
神農の方は、いわゆる天恵と位置づけられる考え方ですね。あるいは穂落神のように、あらゆるものの価値の源泉が天にある、ということを表明する言説です。一方の『淮南子』本経訓の内容は簡略で、高誘注によらなければ解釈の難しいところがあるのですが、文字が詐偽の心を生み出し商業の展開/農業の衰退をもたらすとの発想は、後漢の段階における社会問題を反映したものとみるべきでしょう。しかし、後に続く「鬼神哭泣」云々の記述からすれば、強ち無理な理解ではないのかもしれません。いずれにしろそこには、日本では『古語拾遺』の表明したような、文字に対する一種の不信感が見受けられます。この不信感の一方の足は、日常生活のなかで誰もが経験したことのあるような文字による意志の疎通の難しさに置かれていますが、もう一方の足は、神聖性と表裏一体の文字の持つ〈力〉に置かれているようです。これは、神や自然に対する文化の拮抗を暗示しているとも受け取れますが、それでも天は人間を見捨てることなく穀物を降らせている。人間との距離は次第に離れてゆくとしても、中国的価値観の中枢にある天はなかなか動揺しないということでしょうか。