近代歴史学は道徳や倫理を抑えたところに成り立つとのことですが、どこの国でもそれらの歴史学が早くに採用されていれば、現在の日中・日韓で問題となっている情況も、少しは違う形になっていたのでしょうか。

残念ながら、そうとはいいきれないところがあります。近代実証主義歴史学の生みの親であるヨーロッパにおいても、80〜90年代、歴史修正主義の嵐に見舞われたからです。第2次世界大戦を経験した人々がだんだんとこの世を去るなか、例えばホローコストは存在したなかった、ユダヤ人によるでっちあげに過ぎないとの議論が横行し、歴史学者うしの裁判に発展するまでにもなったのです。日本でも、前回の授業で指摘したとおり、南京大虐殺従軍慰安婦をめぐる歴史修正主義がはびこっています。それらは主に、哲学や教育学、民間史学など、近代に歴史学が切り捨てた倫理・道徳と関わるところから発せられていますが、その部分に空洞を抱えた実証主義は、逆にそれらに感染しやすい弱点を抱えているともいえます。むしろ、道徳や倫理を排除することなく自覚的に用いた方が、皮相なナショナリズムなどとの戦いには有効なのかもしれません。