『平家物語』や『太平記』に史実的価値のみを求めるのが、そもそも間違いなのではないでしょうか。

現代的価値観からいえば、そのとおりでしょう。物語はもちろん、例えば偽書などといわれるものも、時代・社会のなかで生産されたものである限り、それらの特性が刻印された立派な史料といえます。重野や久米の時代は、しかしそれら物語に含まれるフィクションの部分が多く史実と捉えられていたため、またそれらに一貫する思想性、名教性などが強い影響力を持っていたために、批判し排除することが意味を持ったのでしょう。また彼らと同時代にも、物語の心性を反映する点に注目し、過度な〈抹殺〉を戒めた川田剛のような研究者もありました。これについては、また後日授業で扱います。