日本史・西洋史・東洋史の区分は韓国でも同じとのことですが、それはどのような過程を経て成立したのですか。 / 東洋史の枠組みにも入らないアフリカ、オセアニア、中南米などの地域は、ずっと軽視されてきたということでしょうか。
韓国の東洋史区分は、やはり植民地時代、日本の帝大実証史学の移植として開始されました。よってそこには、日本と同じように、ヨーロッパ中心主義/自国史中心への偏重という問題点を持っています。しかしそれと同時に、例えば1930年代に民間知識人らによって展開された朝鮮学運動の遺産も継承しており、韓国的な展開も遂げて現在に至っています。日本や韓国で西洋史/東洋史/国史の枠組みが維持されてきたことは、自国の展開において隣接諸国と西洋諸国が果たした役割に由来するところが大きく、単にその他の地域を軽視したためではありません。しかし、韓国や日本において、アフリカ、オセアニア、中南米などが縁遠い国々であり、また、「見本や模範とされなかった」ことは確かで、学問の功利主義的側面を反省せざるをえない面も強くあります。