実証主義史学が時代の流れに妥協するなかで、皇国史観と両立するようになったのでしょうか? それとも、リースが神への志向を実証主義史学の扶植に持ち込まなかった時点で、すでに実証主義史学と皇国史観は並立していたのでしょうか? / 皇国史観は、戦後教育からは除去されたのでしょうか?
少し難しい話になるかもしれませんが(「いつもだよ!」というツッコミが聞こえる)、「実証主義」という認識論は、哲学的な意味では「経験主義」と同義なのです。すなわち、何かを判断するときに、自分の経験に即して結論を下す。他の理論や宗教などに根拠を求めない。しかしそうであればこそ、イデオロギーの侵蝕には非常に弱い側面を持っているといえます。実証主義歴史学はその当初から、皇国史観と並立する種を宿していたといえるでしょう。最近、ある歴史学の入門書に、「史料は虚心坦懐に読むべき」という一文を発見しました。こうした姿勢を疑いもなく喧伝している限り、実証主義は今でも危険だ、と私などは思っています。なお、皇国史観は、もちろん戦後の歴史教育からは除去されました。しかし、近年幾つかの箇所で採択されている「つくる会」系統の教科書には、かつての国体志向を彷彿とさせるような記述が散見され、また「史実」もねじ曲げられています。研究者による批判に対しては、「歴史はそもそも物語なのだから、史実にこだわることはない」と開き直る始末です。これを採択した行政区の教育委員会は、事実よりもナショナル・ヒストリーを重視しているのだといえるでしょう。