顕幽論の生まれた背景や理由を具体的に教えてください。
アニミズムに近い形態に留まり体系化された思想・世界観・教義などを持たなかった神祇信仰は、中世以降、仏教や儒教の影響を受け、その教説や枠組みを借りながら次第に宗教としての体裁を整えてゆく。これが、「神道」と呼ばれるものです。仏教が釈迦の教えの記された経典の解釈を中心に展開していったように、神道も主に『日本書紀』を聖典の筆頭に据えながら、その神話解釈を軸に思想を構築してゆきます。顕幽論もそうしたなかで生まれてくるわけですが、もともと『書紀』のなかに存在し、しかし明確な意味を持っていなかった「顕」「幽」の言葉に対し、現実世界/神霊世界の繋がりを説明する二元論の役割を与えてゆくのです。顕の支配者である天皇、幽の支配者であるオホクニヌシは、それぞれ神話のなかにその正統性を見出すことができる。そうした考え方は、江戸期において、徳川幕府による支配を相対化し王政復古の理念を導き出さざるをえなくなってくるわけです。