津田左右吉の『古事記』『日本書紀』批判は、逆に天皇の正統性を明確にするためのものだったという学説を聞いたことがあります。先生はどうお考えですか?

小路田泰直説でしょうか。確かに戦後の津田は、中国を蔑視しつつ、天皇制擁護・反アジア主義・反マルクス主義の立場をとっていますので、転向者であるとか、あるいは一貫したナショナリストであったとも位置づけられています。しかし問題は、彼が方法・思想も含めて徹底した近代主義者であったということ、歴史学においては個別具体的なありよう、民衆に根ざした思想・文化の多様性をこそ考察すべきと考えていたことです。マルクス主義批判は、具体性を忘れ法則性・原理性に偏った学問のあり方への批判であり、アジア主義批判は、多様性を無視してアジアを一括することへの危機感の表れでした。そうした意味からすると、津田を天皇主義者とみるのも一面的な気がします。