皇国史観が吹き荒れた時代は、西洋のものが否定され日本のものが重視されましたが、なぜさまざまな文化的起源ともいうべき中世が「暗黒時代」とされたのでしょうか。

史学史的にいえば、原勝郎の『日本中世史』に至るまでの時代における中世の位置づけ、ということですね。これは西洋史における中世の位置づけに多分に影響されているのですが、奈良・平安を古典古代と位置づけ、その王朝文化に正統的な価値付けを与えたとき、それらが覆い隠され、武家的動乱の続く中世をマイナス評価する見方が生じたのです。明治の皇国史観のもとでは王朝文化が正統的古典であり、武家文化や庶民文化はそれより劣るものとみなされたのです。