大正デモクラシーの情況下で国体を再編成してゆく際、明治天皇の死が何かしら関係していたということはないのでしょうか。
確かに、当時の政治家や文化人の談話などをみていても、明治天皇の崩御が「一時代の終焉」を印象づけたことは確かです。国体を強力に構築し、富国強兵を進めて世界に冠たる国家を建設してゆこうというモチベーション、時代・社会の雰囲気は緩和し、それが政治的方向、価値観の多様化に結びついた可能性は大きいでしょう。しかし、その情況を一瞬にして解体し、社会を特定の方向へ矮小化させてゆく契機になるのが、関東大震災なのです。これを大正における文化の腐敗の結果とみなし、人々の自制・自粛を促す空気が急速に醸成されました。国家は保守化し、民主主義運動、社会主義運動も暴力的に弾圧されてゆくことになります。東日本大震災以降の日本と重なるところが、非常に怖ろしい気がします。