国家神道が形成されてゆくなかで起きた神社合祀その他の政策に対し、一般の人々はただ黙ってみていただけなのでしょうか。 / 明治神宮の祭神は明治天皇との話ですが、明治天皇は神として祭られるくらい特別な存在だったのでしょうか。また、神社合祀などで無駄な神社を整理するとの話がありましたが、そもそも無駄ならばなぜ存在したのですか?

江戸時代までの神社のあり方は、授業でもお話ししたとおり、神仏習合が当たり前の情況にありました。寺院のなかに神社があり、神社のなかに寺院があるのが通常の風景だったのです。また、神道にも種々の教派があって、地域的・思想的に多様な神々が展開していたわけです。明治政府が神道を国教化する、あるいは国民を統合する道徳・倫理の中核に据えようとしたとき、そうした多様性はかえって邪魔になりました。国家神道の形成と神社合祀は、そうした発想のなかで進められたのです。「無駄」というのは、その神社を形成し維持してきた人々の側ではなく、あくまで国家の側から発生してきたものの見方です。もちろん、出雲大社の動きに象徴されるように、国家のこのような動向に異を唱えた人々は多くいました。出雲派を指示した神道家や国学者もそうした発想だったでしょうし、民俗学者南方熊楠らも、神社合祀に反対する運動を展開しています。しかしそうした抵抗も、やがて「大日本帝国」の権力の発動の前に衰退していってしまうのです。