歴史書の作成=文明国であることの証拠とのことでしたが、その歴史書の内容が、実際の出来事と一致するかどうかは、とくに問題にはならなかったのでしょうか。

神話や伝承は、時代を通じ、その当時の価値観や考え方の相違を反映して、意味や内容を変化させてゆきます。すなわち、常に現在主義的なのだといえるかもしれません。東アジアの歴史記述は殷代から始まりますが、卜占に関連して、王の一挙手一投足が記録されてゆく。周代以降は、それが史官の役割となり、後宮の寝室にまで史官が待機したとの逸話が残っています。それは、後の人々が歴史を教訓として現在を生きることができるようにするためですが、そのような後代を見越した記録性は、『日本書紀』編纂段階の日本には存在しなかったと考えられます。律令国家をデザインするための一要素として、半ば事実、半ば虚構に基づきながら叙述されていったのでしょう。