聖徳太子が実在するかは不明だったとしても、モデルになった厩戸王がなぜ神聖化の対象として選ばれたのか非常に不思議に思った。 / 天皇でもない厩戸王が、なぜ神聖化の対象とされたのか。

実在の厩戸王が仏教興隆に功績を挙げたことは、法隆寺四天王寺をはじめとする幾つかの寺院、中宮寺広隆寺などの関連寺院から明らかです。彼の主催する上宮王家に瓦の工房があり、その他の寺院へ瓦を提供したことも、考古学的に明らかになっています。また、関連寺院では、すでに7世紀段階からその神聖化が始まっていたようです。推古朝は東アジア外交のため仏教興隆を図りましたので、その意味で、8世紀の古代国家が改革の主導者として位置づけるのは適当だったのでしょう。さらに、儒教や仏教といった中国的教養を修めた人物として造型される場合、神祇の司祭者でもある大王もしくは天皇では、宗教的に種々の問題が生じてしまう。奈良時代半ばの聖武天皇は「三宝の奴」となることを公言しますが(これも中国の梁武帝に倣ったもの)、それは仏教国家建設の施策のなかで可能となったもので、まだ8世紀初頭では難しかったと考えられます。それゆえに大王・天皇ではなく、王子である厩戸が選ばれたのでしょう。