聴政が君主の美徳と考えられるようになったのはなぜですか。

東アジアにおける王権は、専制君主的性質を持つ王や皇帝を、貴族層たる士大夫が牽制・抑制するという歴史のなかで育まれてきました。王・皇帝の権力ばかりが肥大化してゆくと、国家は私物化され、そのパーソナリティーや能力によって命運が左右されてしまう。それでは王家自体も長続きできないので、両者がバランスよく合意できるシステムとして聴政が重んじられ、家臣の提案、諫言によく耳を傾けることこそ君主との徳目とされたのです。ちなみに、春秋五覇を代表する晋の文公は、「重耳」という諱を持ち、多くの食客を抱え彼らに助けられて即位してゆきます。このあたり、「聖徳太子」の「豊聡耳」のヒントになっているかもしれません。