仏教公伝から崇仏論争にかけての史料ですが、神道と仏教とは明確に区別されているように思います。それにもかかわらず、なぜこのあと神仏習合のように、二つが混じってゆくことが許容されたのでしょうか。

日本で最初に用いられた神仏習合の論理は、「神身離脱」というものです。これは、仏教が神を「前世に報いを受けた苦しみの身」と捉え、仏教的作善を施すことでそれより解脱させるという形式でした。中国で生まれた六朝の当初は、実際に対象となった祠廟などを解体する手段として機能しましたが、やがてこれを担う僧侶の力を喧伝する常套手段になってゆきます。日本では、奈良時代の後半から平安初期にかけて流行しますが、やはり神社を解体することなく、逆に勢力の衰えた神祇を活性化する手段として機能したようです。仏教の力で神々を祭り、再生させてゆくということでしょうか。「習合」といっても一定の論理があり、同列のものとして混合されるわけではないのです。