自分が受けた日本史の授業では、このように聖徳太子が持ち上げられたり足利氏が卑下されたりしていた覚えはないのですが、やはり今の教育のなかにも皇国史観が残っているとお考えですか? / 「〜の変」「〜の乱」という表記についても、その使い分けの基準は天皇への態度如何にあったように思います。 / 皇国史観は、聖徳太子のように称揚される人物だけではなく、非難されるべき人物をも生み出すのが驚きでした。なぜわざわざ歴史上の人物にマイナス・イメージを付与するのか、そうすることにどのようなメリットがあるのでしょうか。

講義でも述べましたが、戦後教育は戦前・戦中の皇国教育を民主教育へ転換するところから始まりましたので、明確な思想統制は行われていません。しかし国民国家歴史教育である以上は、ナショナル・ヒストリーの醸成に力が注がれていることも、また否定できないのです。よって、皇国史観が支配的なイデオロギーとなっているわけではありませんが、厩戸王を「聖徳太子」として戦前とほぼ同じ価値観のもとに教えていること自体その名残であり、皇国史観から完全に脱却できていないともいえるでしょう。非難される人物の必要性については、そうしたあり方・生き方の否定、すなわち反面教師という点で、称揚されるべき人物の強調と同じくらい意味があります。アジアにおける歴史の現在主義においては、勧善懲悪の叙述が、中国の春秋時代以降ずっと理想とされてきました。現在の道徳・倫理においても、良いこと・なすべきことを強調するとともに、悪いこと・してはいけないことが明示されますが、それと同じです。なお、「乱」「変」「役」などの呼称には明確な基準はありませんが、王権側の支配秩序を前提としている点は確かです。