明と日本との関係があまりよく理解できないのですが、明と日本では、明の方が立場が上だったのでしょうか。

東アジアの外交においては、古代から中国が帝国として君臨し、外交を結ぶ周辺諸国は、朝貢して属国となるか絶域の外国として扱われるか、どちらかでした。この伝統は、相次ぐ征服王朝の出現や欧米のアジア進出によって崩れてゆき、周辺諸国それぞれの自尊意識の向上へ繋がってゆきますが、まったく意識されないことはなかったわけです。事実、宮廷社会をはじめとして、武家社会を含む知識人層においては、漢籍に基づく中国的文化があらゆる価値の源泉でした。中国文化は、東アジア諸国家において、常に規範的な地位を占めていたのです。南北朝〜室町期の対明外交は、当初明を対等な国と捉え行われたと考えられますが、それでは国交を結べなかったために、朝貢という態度をとり形式上臣属せざるをえなかったのです。