明の暦を用いることは明に時間を支配されることだと初めて知ったが、時間を支配されているからといって一体何が問題なのか、明に何の利益があるのか分からなかった。 / 義満は明から受けた暦を使用したのでしょうか、しなかったのでしょうか。 / 暦を渡すことで権力の差を見せつけ、上下関係が生まれるのだと習いましたが、暦以外でもそうした権威を表すものはあったのですか?

明のもたらした大統暦は、元において制定された授時暦を改名したものでした。暦の制定と交付は天皇・朝廷の役割でしたが、義満の受け取った大統暦は採用されず、貞享2年(1685)における渋川春海の貞享暦(大和暦)への改定まで、800年余りに渡って唐の宣明暦が使用されていました。暦の頒布=時間の支配が権威を持つのは、暦によって民衆の生業から宮廷の年中行事に至るまでが決められていたからです。諸国において異なる暦が用いられていれば、外交においても、日時の食い違いから種々の齟齬を生じます。しかし統一的な暦が頒布されていれば、その使用範囲においては共通の時間軸が存在するわけです。交流における実質的な利便性はもちろん、中華帝国が世界の中心であるという華夷意識を満足させるものでもあったと考えられます。なお、暦は天体観測を基盤に作成されますので、先進的な科学の象徴であったともいえます。これらはいうなれば文化の力であり、中国的な知識、技術全般が、古代・中世においては大きな権威を持つものであったといえるでしょう(ちなみに授業で取り扱った「儀礼」自体が、上下関係を創出することを主要な役割としています)。