古来より文献には朝貢した物の数が詳細に記されていますが、どの程度の見返りがあるのか分からないなか、貢ぎ物の数量は誰が何を基準にしてどのように決めていたのでしょうか。

義満の朝貢の場合は、恐らく、外交実務を担当した五山の禅僧が先例を調べ、博多商人などからも昨今の情報を得ていたものと考えられます。商人の側には、中国や朝鮮半島との独自のネットワークが存在しましたので、明に対する他国の朝貢の情報などももたらされていた可能性があります。