義満が天皇に配慮したというのは本当でしょうか。当時、天皇は将軍が配慮せねばならないほどの権力を持っていたのでしょうか。

天皇(厳密には院政)が権威を失っていたとしたら、南北朝の問題も起こりえませんし、征夷大将軍の位を得て幕府を開くという方途も意味をなしません。当時の価値の源泉も未だ天皇にあり、その主宰のもとでこそ、義満と室町幕府は権力を構築できたのです。なお、中世史研究者の橋本雄氏は、北山殿における仏事を何度も取り仕切り、義満とも親密な関係にあった護持僧尊道法親王が、応永9年の明使接見儀礼の場にいないことに注目しています。法親王後伏見天皇の皇子、すなわち天皇家の人間だったため、彼が明の使者と接触することを憚ったのではないかと想定しているわけです。確実なところは分かりませんが、義満が天皇や朝廷との関係から慎重に事を運んだのは確かでしょう。