「原風景」や「伝統」というものについて考えさせられた。先生は、「原風景」や「伝統」はいつできるとお考えですか? それとも、それらができあがることはないと思われますか?

「原風景」にしても「伝統」にしても、本来時間のなかで変化し続ける事象を、ある時間(多くは現代)を絶対化することで停止させてしまう概念です。「原風景」は、絶対化した時代の祖型といえるものを遡って位置づけたもの、「伝統」は、多くが近年になって構築されているにもかかわらず、権力によってあたかも長い間持続してきたかのようにみせるものです。なぜある時代を絶対化するのかといえば、そこには政治的な企図が見え隠れする。「原風景」や「伝統」が語られるときには、一歩引いて眺めてみて、そう語り出すことで何が正当化されようとしているのか、あるいは何が隠蔽されようとしているのか、考えてみる必要がありそうです。