開発を思想史の観点からみることはできないでしょうか。また、日本における思想操作を、ヨーロッパにおけるキリスト教の変化(開墾の正当化)と関連づけることも必要ではないでしょうか。 / 欧米と比較したとき、日本の自然への踏み込み方は軽いのでしょうか、それともどの国も変わらないのでしょうか。

ぼくが専門としているのは、まさにそうした領域です。多少はアジア、ヨーロッパとの比較もしていますので、授業で紹介した文献などを読んでみてください。自然への踏み込み方がどう違うか、ということは、それぞれの自然環境とそのなかで営まれてきた歴史、社会のあり方や人口の寡多によっても相違がありますので、一概にはいえません。しかし、よく一般にいわれるような、多神教の日本は自然環境に共生的、一神教のヨーロッパは逆に支配的・抑圧的、とする言説は誤りです。初期キリスト教の修道士たちが森林を切り開き、アニミズムを破壊していったことは一部事実ですが、同じように日本においても神殺しがなされ、開発が強行されました。またそうした日本にアニミズム的発想が強固に残り、動植物や無生物にまで生命を感じる思想が存在したように、ヨーロッパにおいても森林や泉に精霊が宿り、動植物を神聖視する視点も生き続けたのです。帝国主義植民地主義の拡大によってヨーロッパ的破壊は世界を席巻してゆきますが、日本が同じ立場であれば同様の惨禍がもたらされた可能性もあります。まずは、偏見や先入観を持たないことが重要です。