比叡山は仏教の聖地だと思うのですが、当時はそのような宗教的な場所ですら保護されていなかったのでしょうか。それとも、信仰心の薄い住民が勝手に伐採してしまったのですか。 / 寺社の周辺に住んでいるからといって、その寺社を信仰しているとは限らないということですか。 / 寺社周辺は、当時は共利の地だったのでしょうか。後にそれらの森林が寺社所有になるとすれば、それはいつ頃からですか。

中世の段階であれば、所在の在地領主などの寄進により、境内地はもちろん、周辺の広大な領域が寺社の所有になっていることが多かったはずです。当然、寺社はこれを管理し勝手な伐採を禁じていましたが、周辺の庶民、場合によっては武士団などが狼藉を働き、生存や経済的利益のために伐採を行うことが多くあったのです。例えば、近江国北部山地にあった葛川明王院の所領では、住人は同院の維持管理に奉仕し山村の権益を保証されていましたが、南部の伊香立荘民との境界論争が絶えず、その炭焼き業のために資源枯渇を招くような事態にも至っています。彼らが必ずしも信仰心が希薄だったわけではないでしょうが、豊かな山の資源をめぐって、さまざまな利権争いが行われていたのです。